石都・岡崎産地の歴史
弊社は石の三大産地の一つ「岡崎」にありますが、今回は岡崎産地の歴史について触れてみたいと思います。
天正18(1590)年、岡崎城主となった田中吉政は城下町整備に関わる堀や石垣の築造に必要な石工を河内や和泉(現在の大阪府)より招き、随念寺(岡崎市門前町)は門前の土地を貸してこれを保護されました。これが岡崎における石工業発展の起源とされています。
また、永禄年間(1558~1569年)には石塊をもって生活していた人たちがいたといわれ岡崎市梅園町の諏訪神社には市内最古の石灯籠として永禄3(1560)年のものが存在しています。さらに、享徳元(1452)年に西郷稠頼が岡崎城を築く時、岡崎の花崗岩を石垣用として上納するように命じたといわれており、いずれにしても今から400年以上の歴史があることがわかります。
城下町整備の後、領主と寺院の保護のもとに、東海道の北筋の裏町に江戸期を通じて30戸ほどの石屋町が形成されました。岡崎には隣接地に良質の花崗岩が産出されたこと、そして東海道の宿場町・城下町として旅人により特産品として宣伝されていったこともあり、矢作川の舟運と三河湾と海運によって江戸その他各地へ石製品が搬出され、発展していきました。
明治17年には岡崎石匠組合が設立され、その時の業者数は33軒となっていたそうです。その後、灯籠や仏像、神前彫刻物などの需要が高まり、業者数は100軒近くにのぼり、集団地を形成するまでになりました。
これらの背景のもと、「石都岡崎」の歴史が積み重ねられてきているわけですが、今も岡崎市内及び近隣地区で採掘される「宇寿石」「牛岩青石」「小呂青石」「吉祥石」「足助みかげ」「花沢石」などの銘石、そして優れた加工技術を持つ100社以上の石材業者の方たちが協力しあい、切磋琢磨しながら「岡崎ブランド」を守り、継承し続けています。(山口康二)
資料:石都岡崎 石と共に生きる(岡崎石製品協同組合連合会)より